清水地区公民館

史跡・名所

地区内の史跡・名所を巡ってみませんか。

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史跡・名所

地区内の史跡・名所を巡ってみませんか。

 清水地区には、清水磨崖仏群や岩屋公園のほかにもたくさんの方に知ってもらいたい、見てもらいたい史跡や名所がたくさんあります。
 令和6年1月に南九州市文化財課が岩屋公園の正面入り口から入った駐車場待合所に清水地区を紹介する看板「地域のお宝マップ」を設置してくれました。
 清水地区公民館では、この看板のところに「清水地区の史跡・名所マップ」一枚紙のリーフレットを置いております。ぜひご活用いただき、地区の史跡・名所めぐりを楽しんでください。
 また、音声ガイドは、初期画面から「史跡・名所音声案内を開いてください。

水元神社と境内にある文化財等

水元神社がいつ建てられたかは不明ですが、江戸時代の1653年、1715年、1862年、明治33年(1900年)に修理・改修された記録があります。
 この神社は、水源地を守る水神として建てられたと考えられ、江戸時代から清水区の産土神として信仰されてきました。
本殿が崖に掘られた洞穴の中にある珍しい形態の神社です。現在の社殿は、平成30年(2018年)に明治33年に改築された社殿の木材を一部再利用して忠実に復元したものです。
 境内には自然石の田の神、右手に蛇を持ち前髪が9頭の竜で表現されている水神像、薩摩塔や日清日露戦役記念碑があります。

水元神社の境内に鎮座する田の神と水神

田の神には、自然石に御田之神(おんたのかみ)と刻まれています。幕末の1851年に建立されたものです。
水神 右手に蛇を持ち前髪は9匹の竜で表現されています。
田の神と水神は、もともとは、現在の岩屋公園の敷地となっている田んぼにあったと言われており、水元神社に移設された時期や理由はわかっていません。
                                              南九州市文化財課発行 文化財ガイドブックより

水元神社境内の薩摩塔

 水元神社の境内と宝光院跡の2か所にあり、市内の神殿地区、県内では南さつま市坊津町、霧島市隼人町にそれぞれ1基ずつあります。 
 鎌倉時代に作られたとされ、最近の研究で中国福建省でとれる石材であることが分かりました。土台の柱は六面体でそのうち4面に四天王が一体ずつ、中心となるつぼ型の塔身には阿弥陀如来が彫られています。

清水の湧水

  清水地区は、鹿児島特有のシラスの台地の下からきれいな地下水が湧き出るところが多くあり、その代表がこの清水の湧水です。
 1日の湧水量は6000トンで古くから地域住民の飲料水、生活用水、農業用水として利用され、昭和41年からは川辺町の上水道として1日3000トン、約3800世帯をまかなっています。水温は年間通して18℃前後で冬暖かく夏冷たく感じ、涼を求めてたくさんの人が立ち寄ります。7月ごろは、梅干を漬けるためのシソを洗う人でにぎわいます。
 清水の湧水は、1985年(昭和60年)に鹿児島県から湧水町の丸池、屋久島の宮之浦岳の湧水とともに環境庁の全国名水百選に選ばれています。

清魂水

 岩屋公園の近くにかかる岩屋橋のたもとから冷たくておいしい水が湧いています。昔から病気になったときに薬を飲むのに使われ、清水の薬水とか岩薬水と呼ばれていましたが、平成に入るころに清魂水と名付けられました。
 この周辺には、鳴野原の畑や田んぼがあり、冷蔵庫や保温容器のなかったころは、農作業の休憩時に飲む水として、利用されていました。今でも、清魂水を汲みにたくさんの人が訪れています。
 清魂水の横には、田の神が安置されており、訪れる人を和ませてくれます。

諏訪神社(天之御中主神社)

 古殿集落の南薩縦貫道高架下から山手の方へ約250m先にあります。
 この神社は、室町時代の応永24年(1417年)に起こった「平山城・松尾城の合戦」の際、伊集院頼久がここに陣取って勝利を収め、合戦後の永享9年(1437年)、伊集院頼久によって諏訪神をお迎えして建立しました。
 明治4年(1871年)に古殿妙見神社と合祀され、天之御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)と改称されるまでは、古殿諏訪大明神と呼ばれており、今でも地元では諏訪神社と呼んでいます。境内には日清日露戦役記念碑があり、秋にはイチョウの黄葉が見られます。
 車は、鳥居近くの道路が少し広くなっていますので、ほかの車が通れるよう駐車してください。

松尾神社

最初の鳥居から約150m森の中の参道を進んだ先に松尾神社があります。ここは松尾城の本丸があったところで、神社の下の広場周辺には、空堀や土塁が良好に残されています。
周りより一段高いやぐら台を利用して松尾城の守り神として神社が建てられたと言い伝えられています。明治時代に野崎の産土神である川波神社が合祀されました。
 松尾城は室町時代と戦国時代に大きな合戦が行われたため、戦死者の供養のために建立されたと考えられる六地蔵塔や五輪塔が境内に残っています。
車は、Uターンが難しいので一の鳥居横に停めてください。

松尾神社の六地蔵塔

 江戸時代の記録にも記されている六地蔵塔の塔身部分で、六角形の塔身にそれぞれ一体ずつの地蔵尊が彫刻されています。松尾神社のある松尾城は、室町時代と戦国時代に2度の大きな合戦が行われたところなので供養のため建てられたと考えられたと考えられています。
                                南九州市文化財課発行 文化財ガイドブックより

宝光院跡

 宝光院は、河辺氏の菩提寺として栄え、江戸時代には河邊郷(合併前の旧川辺町の範囲)を代表するお寺でした。
 江戸時代に2回の火災にあったことや明治時代の廃仏毀釈で廃寺になったことから記録が残されていませんが、お寺の入り口近くには2mほどの高さのある仁王像2体があり、寺跡には、不動堂や巨大な宝篋印塔が残されています。
 山の中腹には歴代住職の五輪塔群があり、地域の人たちが清掃作業を行っています。山道を通るので、この次に載せてある写真をご覧ください。
 

山の中腹には歴代住職の五輪塔群

宝光院歴代住職の五輪塔群清掃作業のようす

河辺氏の居館跡

 平安時代の終わり(1130 年)頃、薩摩平氏(平家)の一族で、伊作(現在の日置市吹上町)を収めていた伊作良道の長男・道房が河辺郡司となり河辺氏を名乗り、川辺盆地に号令を出すのに適した場所としてここに居館を建てられたと伝えられています。
 居館は別名「桜の屋形」と呼ばれ、とても立派な建物であったと伝えられております。
 現在は、居館跡は、田んぼとなり、記念碑が道路沿いに立っています。

層塔群

 昭和26年(1951年)、清水小学校の運動場を整備するために河辺氏の菩提寺といわれている宝光院の跡地で土取りをした際、3基の層塔とたくさんの五輪塔が発見され、現在地に安置されたものです。
五輪塔は形から鎌倉時代に建てられたと推定され、層塔の塔身には墨で書かれた梵字が残っています。鎌倉地方の五輪塔と共通点が見られる事や、大きさや数の多さからこの地を治めていた豪族一族の墓か供養塔と考えられており、河辺氏の関係者と推定されています。
 塔が倒れる恐れがありますので、中には立ち入り禁止です。歩道からご覧ください。

雲朝寺跡

 川辺町平山にあった玉泉寺の住職・威芳和尚によって室町時代に建てられた禅宗(座禅などの修行により生き方を悟ろうとする宗派)のお寺です。
 はじめは河辺氏の居館跡付近に建てられていたものを篠井手用水(ここら辺の農業用水)を通すために、西側に移転したとされていますが、寺跡の遺構等は発見されていません。水田のほ場整備の際に多くの石塔が発見され、ここに集約したものです。

であえ~る どんどん亭

地元の食材と手づくりにこだわり、安心安全でおいしい食品の提供やたくさんの人が集う場として創設された「であえ~る どんどん亭」 
 農事組合法人どんどんファーム古殿が作ったお米やそばなど地元産と手作りにこだわった惣菜や十割そば、具だくさんのちゃんぽん、うどんなどが人気メニュー。手作りの甘酒もぜひ味わってみて、もちろんアルコールフリーです。
 営業は、水、木、金、土曜日の11時から14時  お問い合わせ ☎0993‐78‐4161

サクラノヤカタ

岩屋公園のシンボル的な建物、川辺仏壇の技術を結集して建てられた銀閣寺風の「桜の屋形」のなかにある和風カフェ。情緒豊かな雰囲気で、季節のパフェやいちご大福が人気です。
美しく気品ある建物のなかで、心豊かに楽しい時をお過ごしください。

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