養蚕(ようさん)(けごしょ)

 

養蚕(ようさん)(けごしょ)

昭和初期、養蚕(ようさん)は重要な現金収入源であったため、どの農家でも蚕(かいこ)を飼っていた。春夏秋と5回も表(おもて)から中居(なかい)まで部屋中に棚を作り、ケコバラで飼育していた。蚕が桑(くわ)の葉を盛んに食べ出すとザワザワと音がしていた。
子供の頃、鰯(いわし)が捕れて荷馬車で売りに来ると、箱で買って桑の根元に肥料として鰯を2匹ずつやっていた。
蚕が繭(まゆ)を作ると、夜学舎で繭納(まゆおさめ)があり、立薗の叔父さんが会計係で、一人一人に現金を支払っていた。
木場の飴売(あめう)りのおばさんがミカンの木の下で店を開いていて、親からその代金をもらって飴(あめ)を買っていた思い出がある。
鹿児島県の養蚕業は平成17年度限りでなくなるそうで、寂(さび)しさを感じる。

​清水地区公民館