青年団

 

青年団

 男子は数え年15歳になったら、元服(げんぷく)(成人)を示すため青年団に入団した。入団式は、言葉の礼儀(れいぎ)、作法、生活態度(せいかつたいど)や家事手伝いの教育から始まり、「こんちゃうごわした(こんにちは)」「こんばんなろごわした(こんばんは)」「誰さあござすか(どなたですか)」等の言葉使いを習った。
 また、水車店にこの世に存在しない2升瓶を買いに行かせたり、一般家庭にスギコツの二股を借りにやらせたりして物言いの稽古(けいこ)をさせられた。
 夜学舎を当番制で清掃したり、土曜日は蒲団(ふとん)持参で泊まり込み、示現流(じげんりゅう)剣道の練習をしたり、夜遅くに墓や松尾城、白山坂(はっさんざか)で肝試しをして怖い目にあったりしたが、人生の修行だと鍛えられたものだった。
 タバツゴンを片手で持って、落とすと叩かれる制裁を受けたりもした。
 岩屋公園の山払いをしたり、青年の実習地に甘藷(かんしょ)を植えた。ニワトリの放し飼いの取り締まりで捕ったニワトリを夜学舎で料理して皆で食べていた。
 ある女性から、「あなたは私の家のニワトリを持って行ったでなあ」と60年前の事を言われたことがある。思い返してみると、女の子が泣いているのに無理やり捕ったこともあった。かわいそうなことをしたものだと、申し訳ない気持ちになる。
 戦後の一時期、軍隊帰りの青年が多かった。民主主義の時代になり、厳しい夜学舎教育は消滅していった。
 夜学舎は公民館となり、社会教育の場となった。女性も青年団に入り、川辺町連合青年団に加入するようになった。
 昭和24年に現在の清水公民館が新築された。ラジオもなく、娯楽(ごらく)のない時代に泉郷の本を出したり、演劇を公民館で上演したり、ナトコ映画機を手車で高田小学校まで取りに行ったりと文化面に力を入れていた。花見の踊り、六月灯(ろっがっとう)の企画なども行っていた。
 公民館では夜通し卓球(たっきゅう)の練習があり、汗をかけば水元の川に飛び込んでいた。野崎のアワフケイが通っど、もうやめようと夜明けまで騒いでいた。
 昭和28年度、川辺町制30周年記念に棒踊(ぼうおど)りを踊った。
 また、青年団の事業として清水の水田の病害虫駆除の薬剤散布をして、区民から喜ばれた。

​清水地区公民館