農村の民主化と農業生産の増進をはかる目的で、「自作農(じさくのう)創設(そうせつ)特別(とくべつ)措置法(そちほう)及び農地(のうち)調整法(ちょうせいほう)」が戦後の昭和20年12月28日公布された。所有地は2町歩まで、貸付地は7反歩まででこれを越える分は国が強制買収し、小作人に売り渡す。未墾地も既墾地に準じて強制買収された。その内容は大化改新以来の画期的な大革新というべきものであった。これによって小作地や小作農は激減し、農村の社会性は大きく変わった。
昭和21年12月、第1回の農地委員選挙が行われ、小作代表5名の中に清水の大薗(おおその)新吉(しんきち)氏が公選されている。
当時の農家は不在(ふざい)地主(じぬし)で、強制買収にならないよう出稼ぎに行っていた長男を帰して農業に従事させ農地を守っていた。