薬師どん

 

薬師どん

 清水(きよみず)磨崖仏群(まがいぶつぐん)は、平家の落人(おちうど)が船に乗って彫(ほ)ったとの言い伝えがある。磨崖仏群にある観音堂(かんのんどう)の下までは、かつては清水区の所有で青年団が山(やま)払(はら)いをして管理していたが、団員が少なくなったため、昭和三十七年頃に川辺町へ寄付(きふ)採納(さいのう)がなされ、現在は町有地となっている。そのうち、観音堂と階段の敷地(しきち)も町へ寄付されていたが、平成三年に清水区へ返還(へんかん)された。
 男子が十五歳になったら、記念として公園内に山桜(やまざくら)を植えてきた。観音堂は、かつては瓦(かわら)葺き(ぶ)の立派なものであったが、昭和二十六年のルース台風で上の山が崩れて下の川まで押し流された。磨崖仏群が鹿児島県指定文化財に指定されているためにもとの形に再建(さいけん)できないままである。また、このときに階段の右側に素晴らしい仏像の彫刻があったが、やはりルース台風で跡形もなく消えてしまった。私たちの中には、この仏像は真下(ました)の川底に今も沈んでいるのではないかと考えている人もいる。
 堂の下は子供たちの水泳の場所でもあった。高い岩から飛び込む競争をしたり、年長者が深いところで泳げるようになるまで教えてくれたりした。

​清水地区公民館