白山坂は、花園の岩屋公園キャンプ場入口から旧田代のクラブ下、現在の国道まで曲がりくねった狭い道で、昼間も薄暗く、キツネが出てだまされる怖いところと言われ、阿弥陀(あみだ)殿(どん)は青年団の肝試(きもだめ)しの場所だった。
昭和四十二年に花園(はなぞの)トンネルが新設されるまで、北中学校へ通う田代の生徒たちの通学路だった。この坂道は昔から神殿・清水・古殿・野間の4か村が維持(いじ)管理(かんり)をして、通称「鹿児島道」と呼ばれていた。
修学旅行の時は、まだ暗い早朝に隊列(たいれつ)の前後に提灯(ちょうちん)をともし、白山坂を越え谷山の五位野(ごいの)駅まで歩いて行った。