鹿児島では、戦国時代の文禄(ぶんろく)年間(ねんかん)(一五九二年)の一向宗(いっこうしゅう)の禁制、明治始めの廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)で浄土真宗の信仰が禁じられていた。しかし、信仰心の強い清水の信者は、桜元の洞窟(どうくつ)で密かに命がけで信仰を続けていた。平山から馬に乗った武士がいつも見回りにやってきたため、溝口(みぞぐち)の木戸口(きどぐち)でアワを干すまねをする見張りを立てていた。鐘の合図で上の山、立薗の瀬戸(せと)に逃げていたと言われている。この隠れ念仏跡は、最近町外からの見学者が多い。