花園の宇都村の山林には、満州(まんしゅう)から南薩(なんさつ)を守るために「護南(ごなん)部隊(ぶたい)」が来た。敵の上陸作戦に備えて壕を何カ所も掘り、弾薬や食料が備蓄(びちく)されていた。
昭和20年8月15日、終戦になると兵隊が我先(われさき)に逃げたので、集落の人々は毛布(もうふ)や食料品(しょくりょうひん)をもらいに行った。あのコウワ糖のおいしかったことは忘れられない。
枕崎(まくらざき)に米兵が上陸する、女は危ないとデマが飛び、桜元の人は岩屋の河野山に荷物を手車に積んで牛に牽かせ、家族全員逃げた。「もうこれまで」と皆あきらめ、寝ないで飲ん方をした。牛は山の中で一晩中鳴いていた。